ありがとう


4月30日、午後1時55分 永眠


深夜に行った救急の先生も、主治医の先生にきちんと引き継げるようにと
診療時間を過ぎても付き添ってくださった。
移動用の酸素マスクをあてがいながら通いなれた病院へ移動
痛々しいほどの激しい呼吸
すぐに、用意してもらっていた酸素室へ
小康状態が続くだろうから一度帰って休むよう言われる。
この数ヶ月の状態をご存知の先生に、私の身体まで心配させてしまい
申し訳ない気持ちを抱きながら帰宅。

「もうだめなのか」
「こんなに辛そうな状況から開放してあげたい」
「もう一度、ぼーっと私を眺めてるマリンに戻って欲しい」
「安楽死を決断するときなのか」
「また元気に家に戻れるよね」
「いなくならないで」
そんな会話を娘と交わしながら、実は最後だろうと二人とも確信していた。

そして娘と出した答えは安楽死
午後の診療時間に行ってお願いするつもりだった。
そこへ「呼吸が急にゆっくりになった、急変するかもしれない」と病院から電話
急いで向かったけれど間に合わなかった。
すでに息をしていないマリンがそこにいた。
暖かかった・・・
最後は眠るように穏やかだったそうだ。

マリンは私たちに苦渋の選択を実行させなかった。
さっさと自分で逝くときを決めてしまった。
もし決断を実行していたら・・・私は一生自問自答していただろう。
看取れなかったけれど、それがマリンの最後の愛情だったのかもしれない。


本当に本当にありがとう

いっぱい愛してくれてありがとう

私もいっぱいいっぱい愛しているよ

まだマリンの姿を探してしまうけれど

いつまでも悲しんでいたらマリンが困るよね

思い出にするには日が浅すぎる

でもいつかまた会えると信じている

それまで美味しいものをたくさん食べて、元気に走り回りながら待っててね