来春の大学受験に向けて有意義な1年にしたいから、けじめとして北野天満宮へ連れて行って欲しい、と娘に懇願されいざ京都へ。
もともと歴史が好きな私達は、二泊三日の決められた時間内に効率よく神社仏閣を拝観するためのルート作成に余念がありませんでした。
もちろん、お買い物時間も考慮して。

1日目:ホテルに荷物を預けた後、タクシーで銀閣寺へ向かい、徒歩で哲学の道、永観堂、南禅寺と廻り、最後はホテル近くの二条城へ地下鉄で移動。
2日目:レンタカーで広隆寺、金閣寺、北野天満宮、東寺、三十三間堂、清水寺、最後は花遊小路でお買い物。
3日目:徒歩で本能寺へ行った後、チェックアウトして地下鉄で伏見稲荷を廻り京都駅へ出てお土産購入後、一路自宅へ

食事時間に拘束されると、行動範囲が狭くなってしまうので今回は素泊まり、夜な夜な娘とコンビニへ
昼食には贅沢をしていたので、質素な夕食も苦にはなりませんでした。

大学受験は第一、第二希望共に合格
娘の努力が実を結び、京都へ足を伸ばしたことも報われました。御利益に感謝。
(2000.3.30-4.1)
銀閣寺(2000.3.30)
室町幕府三代将軍義満公の金閣に習い、八代将軍足利義政公が隠栖生活を過ごすため建てられました。銀閣寺の名は俗称であり、正しくは東山慈照寺です。銀閣寺の象徴とされる観音殿は一層を心空殿(しんくうでん)、二層を潮音閣(ちょうおんかく)とそれぞれ呼びます。
哲学の道(2000.3.30)
若王子神社から銀閣寺までの2kmほどの疏水沿いの細い道で哲学者の西田幾多郎がこの道を好んで散策したことからこの名前が付いたとされています。
永観堂(2000.3.30)
弘法大師の弟子・真紹僧都が、文人・藤原関雄の閑居だった地を寺に改めたもので正式名は禅林寺。永観堂の名は平安時代中期に入寺した、永観律師に由来しているとのことです。有名な「みかえり阿弥陀」京都六阿弥陀仏のひとつです。
南禅寺(2000.3.30)
禅・臨済宗南禅寺派の大本山で、正式名は瑞竜山太平興国南禅寺といいます。禅院式枯山水の庭園、方丈庭園があります。


二条城(2000.3.30)
関ヶ原の戦いの後、徳川家康が京都での拠点として築いたのが始まりで、1867年に15代将軍慶喜が大政奉還を行った場所として知られます。
二条城お堀(2000.3.30)
迫る暗闇に溶け込もうと、じっと時をやり過ごす。
広隆寺(2000.3.31)
622年に秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、それを御本尊として創建したものです。


金閣寺(2000.3.31)
お釈迦様の骨を奉った舎利殿(金閣)が有名なため、金閣寺とよばれていますが正式名称は鹿苑寺です。一層は寝殿造で法水院(ほうすいいん)、二層は武家造で潮音洞(ちょうおんどう)、三層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くつきょうちょう)と三つの様式を調和させた室町時代の代表的な建物です。
金閣寺:夕佳亭(せっかてい)(2000.3.31)
江戸時代の茶道家・金森宗和が好んだ数寄屋造りの茶席
北野天満宮(2000.3.31)
菅原道真公をお祀りした天神の宗祀です。道真公はわずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称されました。18歳で文章生、23歳で文章得業生、26歳でついに方略式に合格し、30歳の頃、島田宣来子を妻に迎え、33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。(太宰府天満宮資料より)
東寺(教王護国寺)(2000.3.31)
平安遷都の際に創建され、弘法大師(空海)が真言宗の根本道場としてから栄えた寺院です。国宝の五重塔は高さが55メートルあり日本最大です。
三十三間堂(蓮華王院)(2000.3.31)
国宝で、日本唯一の千体観音堂です。120メートルある正面の柱間が33あることから三十三間堂とつけられました。


清水寺(2000.3.31)
現在の建物の多くは、1631〜1633年に徳川家光の寄進によって再建されたものです。断崖の上にせりだした舞台造りの本堂(国宝)は有名で、思い切った行動をとる時に「清水の舞台から飛び降りる」と言うことがあります。
伏見稲荷(2000.4.1)
五穀豊穣・商売繁盛の神で、全国に約4万もあるといわれる稲荷社の総本社です。